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ブラックバードミュージック

Author:ブラックバードミュージック
ブラックバードミュージックは、等身大のアイルランド音楽の魅力を本国直送で日本へ紹介することを目的としたプロジェクトです。
名古屋のフィドル奏者小松 大と、在アイルランドの望月えりかが共同で運営しています。

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今月の人物 vol.15 マイコー・ラッセル(Micho Russell)

2015.04.01 17:17|今月の人物
長らくお待たせいたしました、今月の人物の時間です。
先々月の2月、クレア州北部の村、ドゥーリン(Doolin)でラッセルメモリアルウィークエンドフェスティバル2015というイベントがありました。(フェスティバルのウェブサイトはこちらです→Russell Memorial Weekend
この村の出身で音楽一家として知られたラッセル兄弟(と姉妹)にちなんだフェスティバルです。
ラッセル兄弟のマイコー(Micho)、パキー(Packie)、ゴシー(Gussie)の3人による素晴らしい演奏は貴重なレコーディングが残っていますが、中でもマイコー・ラッセルはアイルランド国内はおろか、世界中でアイルランド音楽ファンを魅了しました。いえ、むしろマイコーはアイルランド音楽の素晴らしさを世界中の人々に広めたと言っていいのではないでしょうか。

マイコー・ラッセル
マイコー・ラッセル(Micho Russell 1915-1994)

ラッセル兄弟
[左からマイコー(フルート)、パキー(コンサーティーナ)、ゴシー(ホイッスル)]

今年のラッセルフェスティバルの期間中、マイコー・ラッセルの未収録の録音を集めた見事なアルバムが発表されました。
(エニスのカスティーズショップにて販売しています。こちらです→Micho Russell "Rarities & Favorites 1949-1993"
2枚組のアルバムに、マイコーの音楽にとりつかれたアメリカ人ビル・オクス(Bill Ochs)が1949年から1993年までにコンサートやスタジオ、個人宅、パブなどあらゆる場所で異なる人々により録音されたマイコーの音源を根気よく集め、厳選した49トラックが収められています。

私もアイルランド音楽に出合って間もない頃、マイコー・ラッセルの音楽に夢中になった一人です。
この新しいアルバムに収められたトラックは未発表の録音がほとんどで、改めてマイコーの音楽のクオリティーを噛みしめると共に、その懐の深さに驚嘆しました。

マイコー・ラッセル3
[新しく発表された2枚組のアルバム表紙]

アイルランドの西の果て、アラン諸島を大西洋に見渡す小さな漁村に生まれ育った農夫、マイコー・ラッセル。
そんなバックグラウンドの持ち主がアイルランド音楽界に残した功績は、今や計り知れません。

前置きが長くなりましたが、ブラックバードミュージックの今月の人物では本日、ホイッスルの巨人マイコー・ラッセルを取り上げたいと思います。

マイコー・ラッセルは、コンサーティーナ奏者の母とシャンノースの歌い手であった父のもとに生まれ、故郷ドゥーリンに住み続けたティンホイッスル奏者です。

マイコーにとって、音楽は幼少の頃から日常生活の中に当たり前にあるものでした。近所に住むコンサーティーナ奏者から多くの音楽を学んだマイコーですが、それ以外はほぼ独学で耳から音楽をおぼえていきました。
マイコーが11歳の時に、父が買ってくれたクラーク社のティンホイッスルが彼にとって初めて手にする自分の楽器でした。

14歳で学校をやめ、父の貧しい農地で手伝いをはじめたマイコー。
ファームだけではままならず、時には茅葺き、カートを引いて魚売りに出かけたりと生活は決して豊かなものではありませんでした。

マイコーの若かりし時代、アイルランド音楽はまだパブで演奏されるものではありません。個人の家で人々が集い行われるハウスダンスに呼ばれては、弟のゴシーらと共に歩いて、または自転車をこいで何マイルもの道を旅したといいます。

1932年、マイコーが17歳の時にアメリカ帰りの叔父が木製のフルートをラッセル兄弟にプレゼントし、それからはホイッスルに次いでフルートも演奏するようになりました。

マイコー・ラッセル2

それまで地元の演奏家としてのみ知られていたラッセル兄弟ですが、1930年代にクレアを訪れていた収集家により、初めて彼らの音楽が公に録音されました。その後もシェイマス・エニス(Seamus Ennis)といったアイルランド伝統音楽の収集活動家たちによって、ラッセル兄弟の演奏は記録されていきました。

1960年代、マイコーに転機が訪れます。
RTÉ(アイルランド放送協会)の番組プロデューサーで同じくクレア州出身のトニー・マクマホン(Tony MacMahon)の計らいにより、ダブリンで初のマイコー・ラッセルのコンサートが開かれたのです。

マイコーは、この一大イベントで一躍時の人となりました。マイコーのシンプルかつあたたかな演奏に人々は心打たれ、その後のラジオ、テレビ番組への出演によってマイコーの名は全国的に知られるようになります。
およそ300ものクレアにまつわる曲と歌を自由自在に表現することのできたマイコーに、人々は驚嘆したのでした。

アイルランド西部、モハーの断崖に近い漁村に生まれたこの一人の農夫からあふれ出る音楽の泉。
マイコーの評判はたちまち国外にも広まり、60年代後半からはイングランド、アメリカに渡りパフォーマンスを披露します。1973年にケリー州のリストールで開かれたフラーのティンホイッスル部門にてオールアイルランドに輝くと、その後もアイルランド国内外からオファーを受け、アメリカ遠征、ヨーロッパツアーを精力的にこなします。
1994年の不慮の交通事故で命を落とすまで、マイコーのパフォーマーとしての人生は続いたのです。

マイコー・ラッセル-2
[西クレアのフィドル奏者、ジュニア・クリハン(Junior Crehan)とマイコー・ラッセル]

マイコーは、ホイッスル奏者として知られていただけではありません。フルート奏者、歌い手、はなし家としても飛び抜けた才がありました。とりわけ、マイコーの曲や歌の背景にあるストーリーや歴史といった豊富な知識は、並はずれていました。学校教育は十分に受けずとも、マイコーは真にインテリジェントな人物だったのです。
マイコーのレコーディングを聴いたことのある方ならば、楽器演奏の前後にマイクの前で話し続けるマイコーにおぼえがあるはずです。マイコーの話を注意深く聴いていると、私たちが普段何気なく弾いているジグがもともと歌であったり、曲名の由来の謎が解けたりします。

マイコーは流暢なアイルランド語を操ることもできました。現在クレア州にはゲールタハト(Gaeltacht アイルランド語が主に話される地域のこと)は存在しないことになっていますが、マイコーが幼少の頃までは地域の実に3分の1の人々がアイルランド語を話していました。海の向こうのイニシア島(Inisheer Island ゲールタハトであるアラン諸島の一つ)と目と鼻の先にあるドゥーリンは、1940年までゲールタハトに認定されていました。マイコーが歌う美しいアイルランド語の歌の数々からも、クレア北部のこの地域でアイルランド語が生きていたことがうかがえます。

「私が記録に残さなければ、消えていってしまう歌と音楽」
ラジオも再生機もなかった時代。北クレアというさびしい土地で、人々の記憶の中のみに生きていたこの地ならではの歌や音楽のレパートリーとバリエーション。
マイコーは、その使命を果たすために数多くの録音と著作を残し、アイルランド音楽の保存に努めたのでした。

マイコーの個性的なホイッスル演奏は、一度聴けば誰もが「マイコー」と分かります。どんなに安価なホイッスルを吹かせても奏でられるその美しいトーン。幼少の頃に親しんだコンサーティーナの演奏に強く影響を受けていると言われるマイコーのユニークなホイッスル奏法。
そこにはマイコーという人物が持つユーモア、優しさ、そして喜びが豊かにあふれています。
マイコー・ラッセルの正直でピュアな音楽。これからも私たちを魅了し続けることでしょう。


望月えりか

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