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ブラックバードミュージックは、等身大のアイルランド音楽の魅力を本国直送で日本へ紹介することを目的としたプロジェクトです。
名古屋のフィドル奏者小松 大と、在アイルランドの望月えりかが共同で運営しています。

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今月の人物 vol.13 ターロック・オキャロラン(Turlough O'Carolan) その3

2014.01.29 16:48|今月の人物
オキャロランの曲を一つも知らないアイルランド音楽家など皆無である、と言っていいほど絶大な地位を誇るアイルランドの国民的作曲家、ターロック・オキャロラン(Turlough O'Carolan)。
特にアイルランド音楽におけるハープ奏者たちにとって、オキャロランの音楽は彼らのレパートリーの実に大きな範囲を占め、決して避けては通れない存在です。

オキャロラン記念碑2
[オキャロランの生まれ故郷、ミース州のノバーにあるオキャロラン像]

最終回となる今回は、オキャロランをとりまく当時の様子と彼の音楽性に焦点を当てて記事を書いていきたいと思います。

あまり知られていませんが、オキャロランの曲には歌詞のついているものも多くありました。つまり、歌だったのです。
歌としてのオキャロランの作品は、その多くが紛失したり、またそもそも歌としては残念ながら高く評価されることがなく、ほとんど世に広まっていません。
オキャロランはハープ奏者として振るわなかったばかりか、詩人としての実力にも恵まれなかったのです。

これは有名な話ですが、オキャロランは作品を作る際、いつも曲を先に作り、それから歌詞を作って曲に乗せていたと言われています。当然、これは本来の作詞作曲とは順番が逆です。つまり、オキャロランは歌詞よりもメロディーを優先させていたのです。作曲の才に抜きん出ていたオキャロランならではのエピソードです。

さて、オキャロランの曲集は今までに何冊も出版されていますが、どの曲集を見てもオキャロランの作曲した曲には、たいていの場合誰かの名前がつけられていることに気づきます。
「O'Connor」や「O'Neill」、「O'Rourke」などアイルランドの王族(チーフテンズ Chieftains)の子孫たちの名前が目立ちますが、それに混じって「Wilkinson」、「Peyton」、「Maxwell」といった明らかにイギリスからのプロテスタント系入植者たちの名前もあります。

これらの人々はパトロン(Patron)と呼ばれました。パトロンとはさまざまな意味での保護者を指す言葉ですが、芸術家などを主に経済的に後援する者、支援者のことです。このようなパトロン、つまり貴族層の人々がオキャロランの時代にはアイルランド全国に点在し、多くのハープ奏者たちはパトロンたちの支援に依存する形で生計を立てていたと言えます。

オキャロランは、ひいきにしてくれるパトロンたちの家を訪ね歩き、彼らのために曲を作って捧げることを仕事としていました。
パトロンたちの記念日や誰かのお祝いのためにオキャロランは作曲し、その曲を依頼したパトロンは相手に贈る、というのが当時の流儀であったようです。オキャロランの曲のほとんどに人名がついているのはそのためです。

アイルランドの文化や言語が迫害の対象となりつつあったオキャロランの時代ですが、オキャロランは入植者であるアングロ系プロテスタントの貴族たちの家にもたびたび訪れ、彼らのための多くの曲を残しています。
日本でも「ガリバー旅行記」の著者として有名な作家のジョナサン・スウィフトは、プロテスタント系の入植者でしたがアイルランドに居住し、オキャロランと交流があったことで知られています。

オキャロランは作曲家として当時から人気があり、多くのパトロンたちがオキャロランに曲を作らせました。彼の到着を待って、結婚式や葬儀が延期となることもしばしばだったということですから、その人気ぶりは相当のものであったと思われます。

オキャロランが当時のパトロンたちにここまでもてはやされ、また今なお人々に愛され続ける理由は、なんと言ってもそのオリジナリティーにあります。

オキャロランが生きた時代のアイルランドにおいて、いわば貴族たちのための音楽であった西洋音楽とアイルランドで発展していたハープ音楽、それに民俗芸能としての音楽の3つは、はっきりと区別されていました。ハープ音楽は、西洋音楽と大衆音楽の2つをつなぐ掛け橋的な存在であったと考えられています。
しかし、オキャロランが成し遂げたこととは、この3つの音楽を融合し、更には当時のアイルランドで流行していたイタリアのバロック音楽の要素を組み込むという独創的なものでした。
オキャロランは、「四季」で知られるヴィヴァルディやコレッリといったイタリアの作曲家たちによる音楽を、当時彼が滞在していたパトロンたちの屋敷でよく聴いていたそうです。
ヨーロッパ大陸からの西洋音楽に傾倒しながらも、オキャロランの音楽は非常にアイルランド的です。
オキャロランの音楽がこれほどまでにユニークでオリジナルであると言われることの理由は、ここにあるのです。

自分の信じる音楽を追求したオキャロランの人生は、アイルランドの激動の時代にのまれるどころか、その時代に寄り添うようにして見事に全うされました。

オキャロランの音楽は、今日のアイルランドの音楽家たちに変わらず刺激を与え、演奏され続けています。
アイルランドに古くから残るハープ音楽の伝統を守るべく、現代のハープ奏者によって今でもさまざまな表現が試みられているのです。

オキャロランハープ
[ハープを学ぶ子どもたち]

「今月の人物」オキャロランに関するこのほかの記事はこちらです。
ターロック・オキャロラン(Turlough O'Carolan) その1
ターロック・オキャロラン(Turlough O'Carolan) その2


望月えりか

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